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“具体的には書けませんが、改善提案をしたときには「新入社員(または入社2年目)なのに」というリアクションがついてまわりました。中には「話を大きくすると、新入社員が思いつくようなこと何故今までやっていなかったのか」と問題になるのでと却下されたこともありました。

私の話し方に未熟な点があったのも事実ですが、残念でした。”
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お役所は文書主義だから、口でやりとりしちゃダメ!
むかついても「この件、文書で説明を!」と言おう。これだけで相手はビビる。
なにしろ、公的な証拠が残るから。

大体、文書回答を求めると慌てて口頭説明を始めるが、その場合は
「あくまで文書回答で」と、その場を立ち去り、さらに区役所に
「文書回答を拒否された理由の説明を請願します」と、書面で訴える。
今回の件、まだ文書をやりとりしてないなら、すぐにやろう!

尚、公務員には「説明を求められたら回答する義務」がもれなくある。
さらに、一言「請願」と書いてあれば、答えないと「請願法」という法に触れる。
要するに不法行為に問える。
(よく勘違いする人がいるが、議会に出す請願じゃなければ議員を通す必要はない)
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1829年10月16日、イギリスの帆船「マーメイド号」が19人の乗組員と共にシドニー港を出発した。ところが海に出て4日目に突然嵐に巻き込まれてしまった。必至に舵をとり乗組員たちは懸命に頑張るが、突然襲った大波にマーメイド号は暗礁に叩きつけられ、船は二つに裂けて、乗組員たちは全員海に投げ出されてしまった。

暗やみの中で必死にもがく乗組員たち。ふと見ると100メートルほど先に大きな岩が突き出ているのが見えた。全員そこまで泳いでいき、凍えながらも岩にしがみつき、ひたすら救助を待った。その状態で3日過ぎたとき、近くを航行中の「スイフトシュア号」に発見されて何とか全員救助された。



「ああ助かった・・。」マーメイド号の乗組員たちは全員肩をたたいて喜び合った。スイフトシュア号は、マーメイド号の乗組員たちを乗せて再び動き出した。

ところがその5日後、せっかく救助してくれたスイフトシュア号は突然海図にもないような強い海流に巻き込まれ、あっという間に岩礁に乗り上げてしまったのだ。合計32人の乗組員たちは船を捨て、なんとか近くの岸までたどりつくことができた。

この岸で助けを待っていると、今度はたまたま「ガバナー・レディ号」が近くを通りかかり、2隻の船の合計32人の乗組員たちは無事救助されたのである。またしても助かった。



レディ号は定員を大幅にオーバーしてしまったが、2つの船の乗組員たちを乗せて再び出発した。これで乗組員全員を合計すると64人になった。

ところが出発して間もなく今度はレディ号が火事に見舞われたのだ。木材を積んでいたために火はあっという間に燃え広がり、それぞれが救命ボートに乗ってなんとか脱出した。

しかしこのたび難破したのは、大西洋のど真ん中に近いような場所だったので、さすがに3隻の船の乗組員たちはみんなあきらめムードであった。全員がほとんど自分の死を覚悟したころ、今度は奇跡的にオーストラリアの船の「コメット号」が通りかかり、またもや全員が救助されたのである。



3隻の船の乗組員を救助し、コメット号は出発した。ところがまたしても今度はこのコメット号が、スコールに巻き込まれ転覆してしまったのだ。乗組員たちは救命ボートに乗る暇さえなく、木切れに捕まって海を漂っていた。

いくらなんでも今度こそ、もう終わりだろう・・・誰もがこんな風に思っていた時、なんと今度は18時間後に郵便船「ジュピター号」に発見されて、またもや全員救助されたのである。

最初のマーメイド号の乗組員からすれば4回目の難破ということになる。だがこれまで不思議なことに、一人の死者も怪我人さえも出ていなかった。



出発したジュピター号の中でほっとしていたのも、つかの間だった。突然ジュピター号は暗礁に乗り上げ、船の底には大きな穴があいてしまい、乗組員たちはまたもや海に投げ出されてしまった。

この時点で乗組員たちは、船長が5人、乗組員が123人の、合計128人となっていた。全員岩にしがみついて助けを待っていると、今度はイギリスの客船「シティ・オブ・リーズ号」が通りかかり、またもや全員が救助されたのである。

リーズ号は100人あまりのお客を乗せて、イギリスからオーストラリアに向かって航行している最中であった。マーメイド号の乗組員たちにとっては5度目の難破になるが、またしても助かったのである。



ところが奇跡はこれだけで終わらなかった。リーズ号に救助され、中に乗り込むとリーズ号の船医が乗組員たちに近づいてきてこう尋ねた。

「君たちの中にイギリスのヨークシャー出身の人はいませんか? 実はこの船の中にはヨークシャー出身の重病人がいて、さっきからうわごとのように十年間会っていない息子の名を呼び続けているのです。

誰かが息子の代わりになってくれれば少しは病状も持ち直すと思うのですが・・・、どなたかヨークシャーなまりの言葉を話せる人はいないでしょうか?」

その時マーメイド号の乗組員の一人が口を開いた。
「その重病人とはヨークシャーのどこの出身なんでしょう?」
「確かホイットピーという地名です。」と船医が答える。

「それはちょうどいい。私はそのホイットピー出身なんです。」
「それは偶然じゃありませんか! ところであなたは今、何歳ですか?」

「もうすぐ32になります。」
「年まで同じとは! それじゃ早速一緒について来てもらえませんか?」

「あ・・それから先生。僕が身代わりになる、その息子さんの名前はなんというのでしょう?」
「ああ、そうだ!名前はピーター・リチャードソンだ。ちゃんと覚えておいてくれよ。」

「ピーター・リチャードソンだって?!」青年はびっくりした。
「先生、別に身代わりの必要はありません。私がそのピーター・リチャードソンです。」
今度は先生の方がびっくりした。



「私は養父母に育てられたんですが、実は以前、私には本当の両親がいると養父母に聞かされたことがあります。」
すぐに先生とピーターはその重病人の婦人のもとへと急いだ。「ママ!僕だよ、ピーターだよ!」と、声をかける。

それまで瀕死の状態で、痩せこけていたその夫人はびっくりして叫んだ。
「お前は・・!私のピーター! 本当にピーターなんだね!」
ほとんど諦めかけていた状態から奇跡的にその婦人は回復に向かった。

人々は感動して口々に噂し合った。
「神様はこの親子を再開させるために5隻もの船を遭難に会わしたんじゃないのか? その証拠にあれだけ船が沈んでも、死人なんて一人も出なかったじゃないか。」と。

今度の船・リーズ号は難破はしなかった。無事港へたどり着き、奇跡的な再会を果たしたピーターとその母親はその後20年間も幸せに暮らしたという。

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第二次世界大戦も終盤に近づいた1944年6月、ヒトラー率いるドイツ軍は、フランスの大西洋海岸・ノルマンディー地域の海岸線の防備を固めていた。ヒトラーはそれまで陸路も空路も完全に遮断していたので、連合軍が乗り込んでくるとすればノルマンディー海岸しかないと読んでいたのだ。

海岸線防備にはロンメル将軍があたり、まず海岸線の一帯に鉄条網を張り巡らし、地雷も莫大な数を砂の中に埋め込んだ。そして海岸には沿岸砲を並べ、海上には機雷を浮かべ、更に海の中には障害物をいくつも配置した。



そして更に、海岸の近くには、厚さ2ートルの壁で作られたブロックハウスをずらりと建築した。このブロックハウスは、縦が5メートルから6メートル、横は4メートルくらいで、もし海岸近くで戦闘になった場合には、全員がこのブロックハウスに立てこもり、最後の一兵までもが戦い抜くつもりだったのである。

だがこうした情報は、連合軍側が事前に察知し、空挺師団が空からパラシュートを使って次々降下し、敵地に攻撃をしかけていったのである。虚をつかれたドイツ軍はたちまち大混乱に陥り、そのスキをついて海からも連合軍は上陸し始め、大量の兵士や車両、補給物資などが運び込まれた。ノルマンディーの戦いは連合軍側の圧倒的な勝利に終わったのである。



そしてその戦いから6年が過ぎた。戦争の傷跡もだんだんと癒えたころである。だがノルマンディーの戦闘の際に作られたブロックハウスは今だにその姿形を残していた。なにしろ厚さ2メートルの壁で作られたものだから、そう簡単に壊れるものではない。

これらを撤去しようと思うのならば、一つ一つ爆破していくぐらいしか手がない。そんなある日、海岸線に近いブドウ畑にあるブロックハウスを撤去しようと、この地に政府から役人が訪れた。

ブドウ畑に建設されたブロックハウスは、戦争の時に爆撃されたせいと6年間の歳月の間に半分くらいが土の中に埋もれてた。このままではどうしようもないから、まずこのブロックハウスのまわりの土をどけて、その上で爆破しようということになった。

そしてまわりの土を取り除いていると、突然ブロックハウスの壁の一部が崩れ落ちてしまった。つまり壁の一部に穴があいてしまったのだ。そしてそのあいた穴から、つんとするような匂いが立ちこめてきた。



何かが腐ったような匂いではなく、何か生き物特有の・・いかにも中に生物がいるかのような・・そんな匂いだった。
「まさか中に生き物がいるわけがない・・。ブロックハウスは6年間、完全に外の世界と遮断されていたのだ。仮に6年前に人間がここに閉じ込められていたとしても、もう生きているわけがない・・。」

そう思いながらも政府の役人は、あいた穴から中を覗き込んでみた。すると・・・中で何かうごめく者がいる。よく見ると、明らかに人間である。

「生きた人間がいるぞ!」役人は叫んだ。すぐに壊れた壁の部分をさらに拡大して、中の人間を救出すべく、役人と作業員がブロックハウスの中に入って行った。確かに生きた人間はこの中にいた。それも二人。だが、床にはミイラ化した4体の死体もそこにはあった。



だが、それぞれがもう、まともな人間ではなくなっていた。生きていたとはいえ、二人ともほとんど言葉も喋れず多少動き回るだけで、ほとんど人間らしさを失った状態になっていた。

しばらくするとそのうちの一人がかすかに正気を保っていたので、話を聞くことが出来た。事情を聴いてみると、その6人はブロックハウスを建設するために集められた土木作業員である。

彼らが作業をしていると突然戦闘が始まり、びっくりしてこの中に隠れたらしい。そしてこの中でしばらくじっとしていたら、辺りが静かになったので、闘いは終わったものだと思って外に出ようとした。ところが扉がビクともしない。

爆撃されたために周りの土がブロックハウスに覆いかぶさり、扉を外から塞いでしまったようなのだ。
6人がかりで大声で助けを求めるが、誰も気づいてはくれない。幸いにもここは倉庫だったらしく、小麦粉や缶詰、ロウソクやマッチ、そして米などが莫大な量、蓄えられていた。



彼らはロースクの火で小麦粉を焼いてパンのようなものを作り、それを主な食物としてずっとここで生活していたというのだ。上からわずかに光が差し込んでいたために失明は免れたものの、そのうちだんだんと皆、喋らなくなり、大脳の働きも衰え、動くこともほとんどなくなった。

そのうち1年2年と経つうちに、体力の弱った者から死んでいき、閉じ込められていた6年間に4人の人間が死んでいった。

助けだされた2人であったが、1人は完全に脳に変調をきたし、病院に運ばれて手当てを受けたが、回復することはなかった。
そしてかすかに正気を保っていた、もう1人も、それからほどなくして死亡してしまった。

厚さ2メートルの壁で完全に外の世界と遮断され、すぐ横を人が通りかかっても全く気づいてもらえなかったブロックハウス・・・。
脱出不可能な状態での6年間、彼らは何を思い、そして死んでいったのだろうか。

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かつてジョン・パーミントンという人気作家がいた。彼の書く小説は評判も上々で、売れ行きも決して悪くはなかった。
ある日彼が、最新作「海の英雄」を書き上げた時、この小説をもっと効果的に宣伝する方法はないものかとあれこれ考え始めた。

そしてこの時彼が思いついた方法というのは、小説の一部を抜粋して紙に書き、それをビンに入れて海に流すという方法であった。流されたビンは海流に乗って色々な場所にたどり着き、国境を越えて多くの人々が読むかも知れない。

まさしくロマンチックで夢のある宣伝方法である。小説の一部を入れたビンは全部で2000個ぐらい用意され、それぞれが海に流された。そしてこの、手の込んだ宣伝方法は効果を上げ、最新作「海の英雄」は、かなりの売れ行きを示したのである。



そしてそれから16年後、偶然にも小説と同じ名前の「海の英雄号」は実在し、航海に出ていた。
この「海の英雄号」は、大西洋からマゼラン海峡を通過して太平洋へ渡り、そしてインドへと向かっていた。しかしこの航海中に大変な事件が起こってしまったのである。

日ごろから船長と仲の悪かった、ある下士官の一人が謀反を企て、水夫たちと一緒にその船を乗っ取ってしまったのだ。
船長や航海士の多くは殺され、船は航路を変更してアマゾン川をさかのぼることとなった。



そしてところは変わり、この事件とほとんど同じ時刻、すぐ近くの海域ではブラジルの戦艦「アラグリア号」が航海中であった。
午前8時、「アラグリア号」の水兵が、水温を調べるために海水にバケツをつけて水を汲み上げている時に、波に漂う小さなビンを発見した。何だろうと思い、ビンを拾い上げてみると中には小さな紙切れが入っていた。

どうやら紙切れには英語で何か書いてあるらしいが、水兵は英語が読めない。そこで艦長に報告し、この紙切れを艦長に手渡した。艦長がその紙切れを読んでみると、「海の英雄号」からの緊急発信であった。

「船で反乱が起こった。私は奴らに殺されるかも知れない。一等航海士も船長も殺されて海に投げ込まれた。私は二等航海士であるが、船をベレンへ向けるために生かされている。至急救助願う。現在位置は〇〇。海の英雄号。」

アラグリア号の艦長が確認を取ったところ、「海の英雄号」は、実在する船であることが分かった。メッセージに示されている現在位置もこの場所から近い。「これは本物の救助信号だ!」アラグリア号の艦長はそう確信し、すぐに海の英雄号の救助に向かった。



そして2時間後、海の英雄号は発見された。反乱は確かに起こっていたが、アラグリア号の乗組員は全員兵士だったので圧倒的な力でその反乱を鎮圧し、他の乗客も救助することができた。

「この、ビンに入った手紙を発見してすぐ救助に飛んできたんだ!」
アラグリア号の艦長はそう言いながら二等航海士にその紙切れを見せた。だが当の二等航海士は、そのようなメッセージは書いた覚えがないという。書きたくても常に見張らていたので、手紙を書いてビンに入れるような余裕はなかったらしい。

そこで生き残った者、全員に聞いても誰も見覚えがないという。他の乗客の命を救った大変なメッセージであるのに、結局誰が書いたのか、分からずじまいだった。



だがそれから1年後、偶然その手紙の送り主が判明した。手紙の送り主は、海の英雄号の乗組員の誰でもなく、16年前にジョン・パーミントンが、自分の小説「海の英雄」の宣伝のために・・あの時流した2000個のビンのうちの一つだったのだ。

このビンが海流に乗ってブラジルの方まで流されていき、16年前に書かれた小説と全く同じ事件があった場所まで流れつき、そして小説のタイトルと実際の船の名前も同じ、そしてそのビンに入っていた小説の一部が救助を求める内容であったこと・・・これらの天文学的な確率ともいえるような偶然が重なり、海の英雄号は救助されたのである。

この驚くべき偶然はイギリス本国でも報道され、大変な反響を巻き起こした。

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“銀行が理解出来ないわ。どうしていちいちペンをつなげているのかしら。銀行を信頼してお金を預けているのだから、私を信頼してペンくらい預けて欲しい。”
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“「MRIやCTスキャンの電磁波ごときで火傷するほどの電流が起きるなんて、めったにないですよ。でも、そこは医療機関。どんな小さなことでも『医療ミス』的なことは御法度。だからタトゥーのある患者さんの検査は一切お断りしてるんです。『お宅で検査したら火傷したぜ! 慰謝料払わんかい!』なんて訴訟でも起こされたら大変ですもん」”